大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう) を御存じだろうか。
約200年前に彼が船頭として乗った船が難破してアリューシャン列島に漂着。
ソリなどで8ヶ月かかって西へ、現在のレニングラードにたどり着く。
皇帝に謁見叶い鎖国中の日本に帰国した人物。
彼はその道中ヤクーツクを経由している。
それが記録上初めて日本人と接したときだ。
あるシャーマンに会う機会があった。
シャーマンといっても見た目は普通のおばちゃん。
その日は彼女の誕生日ということで
お祝にチャッパの演奏をした。
「これは金属の混合比も含め自分でデザインしたんだ」
という話しでひらめいたのか、
「これは今あなたに必要だから持って帰りなさい。」という。
それは200年前に造られたオール銅製のやかん(?!)。
そして「やかんの造り方は日本人に教わったのだ。」と。
…ということはこのやかん、光太夫と関係が?

銅製のメダルとかだったら素直に喜んだだろう。
でもやかん…しかもデカイし重い。
行きの飛行機でも超過料金を取られたことが頭をよぎる。
「う〜む、形に囚われてはいかん。
やかんが必要という意味ではないはず。。。」
というワケでちょっとひきつった笑顔で受け取る。
いつ誰がどんな意味で言い始めたのか知らないが、
ヤクート人は日本のことを
「母方の兄弟の国」と呼ぶ。
「ヤクート史上和太鼓奏者が指導したのは初めて。」
なんて言われたりもして、自分とヤクーツクとの関係が
前世あったのかな…な〜んて思ったりした。