心技体の「体」とは
カラダと一口にいってもとっても広大で神秘すぎますよね。ざっくり言えば目に見える「肉体」と目に見えない幾層にもなる「エネルギー体」とで出来てます。
「心技体」というときの「体」は、主に肉体の動作に関わる機能面ではないでしょうか。
例えば
- 筋肉の瞬発力(お肉で言えば白身)
- 筋肉の持久力(お肉で言えば赤身)
- 心肺機能の高さ(いわゆるスタミナ)
など。
カラダは機械?
僕が筋トレ小僧だったころ、体を壊して思ったことがあるんです。
肉体を鍛えるために筋トレなど、結果にコミットして継続するのは素晴らしいことです。
「ウオームアップして、ストレッチして、○○のトレーニングを3セットずつやって、クールダウンして、プロテイン摂って、、、」
確かに肉体的に効果があって、精神的に達成感もあって、それはそれでいいんです。
でもなんだか機械的な側面にフォーカスしすぎな気がするんですよね。
例えて言うなら対症療法みたいで根本療法にはならないんじゃないかと。
動作自体の知識やトレーニングもなしに負荷をかけちゃってるし。
だから、仮に筋肉にアプローチするトレーニングだとしても、大前提としてカラダの広大で神秘な側面を忘れないようにすべきだと思ったんです。
それが「自然体」の大前提にもなるんです。
パウロの手紙
仮に筋トレをするのだとしても、この言葉をトレーニング前に思い出すといいですよ。
あなたの身体は神殿です
新約聖書 使徒パウロ コリント人への第一の手紙6:19
筋トレしてるときって
筋肉に意識が集まるので
「私は筋肉です」って言ってるんですよね。
行動で。
なぜそれじゃダメかって?
ダメではないし、間違ってもないですよ。
でももったいない。
筋肉以外にも可能性があるのだから。
というか、そうしたほうが筋肉も
本来の働きがしやすくなります。
それにしても
パウロさんのこのパワーワード。
美しいですね!
生涯楽しむアトラクション
カラダって思った以上に広大で神秘。
「内なる旅」を一生楽しめる
アトラクションなのです。
筋肉で終わっちゃうのは
ディズニーランドに行って
お土産だけ買って帰るようなもの。
そう考えると、もったいないと
思いませんか??
カラダを扱うということは、
神秘を扱うこと。
そういう気持ちって
わりと重要な気がします。
トレーニングをするしないに関わらず
カラダを愛でて、神秘のインナージャーニーを
楽しむ。
そんなあり方をオススメしたいです。