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あなたの「五感」は本物か?

僕はこれまでいくつかのCDやDVDの録音、編集に
立ち会ってきましたが、太鼓という楽器の特性と
こうした録音物の特性のなじみの悪さに
いつも悩まされていました。

加えて、自分の出したいニュアンスと
一般的なリスナーの音を聞く環境とのなじみの悪さ
もありました。

その溝を埋めるために、発想の転換や
コンセプトの練り込み、録音の加工技術の導入
などをしましたが、それはそれでとても楽しく
勉強になりました。

つまり生音、生演奏とは全く別物という観念で
やっていたわけです(当然といえば当然ですね)。

しかし、作る側も聞く側も、こういった音に
慣れてしまうことをとても危惧していたのです。

なぜかというと、別物が本物になり、本物が別物に
なってしまう怖さを感じていたからです。

別物は別物として、その制約と可能性の中で
楽しんでいればいいのですが、そのためには、
本物を知っていなければなりません。

アエラ(’08.2.4)に、現代人の五感は、
ハイテクにより偽装されている、という
記事がありました。

聴覚については、音楽に触れる機会としてCD、
しかもヘッドホンやイヤホンで
それを聞くという環境はどういったものか、
という話です。

商業音楽を否定するつもりはさらさらありませんが
(自分がそれをやるかどうかは別として)、
そのフィールドで成り立つ音楽とリスナーには、
失うものも大きいとは思います。

リスナーの環境(ヘッドホン、カーステ、スピーカーの
ボリュームを上げられない、など)に対応するため、
「コンプ」と呼ばれる加工がなされます。

それによって、何が起こるのか。

それは「いい音」や「いい音楽」の判断基準の
人工的な片寄りです。
音の判断基準が、生音、生演奏から離れて
しまうことです。

寿司やで本わさびを食し
「ホントのわさびちょうだい」
といった若者がいたそうですが、この若者の
わさびの味覚の判断基準は「チューブのねりわさび」
だったのです。

デパートで買ったカブトムシが死んでしまって
「お母さん電池切れちゃった」といった子供の、
命の基準は電気製品に依存するものだったのです。

それと同じことが音楽でもおきている、
ということです。

感覚が商業主義に翻弄されていくことには
気をつけたいものですね。

なにが本物かは、突き詰めると意外に
曖昧なものですが、こんなバーチャルな
時代だからこそ

皆さん、

たまには自然音に耳を澄ましたり、

生音を聞きに

ライブに行こう!!

、、、って遠回しに宣伝(^_^;)

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